やまめのブログ

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This article was written on 27 10月 2013, and is filled under タカギ家.

お産ノート(体験記)

さて、Facebookには記載していましたが、こちらのブログでも、今回のお産を少し振り返ると・・(長文です。。一生に何度もなくて、かつ命懸けの仕事だからしばらく余韻に浸らせていただきますヨ ^^;)

<妊娠中>

妊娠当初から、純の時と同じく、つわりも全く無く、元気な妊婦でした。 ただ、7ヶ月の検診で、赤ちゃんが逆さになってるかも?と。
逆子になっていると、お産も大変になるし、何より助産院では産めなくなるので、 少し焦りましたが、今回出産予定のウテキアニ助産院の小百合さんに相談すると、「まだ動いている時期だから大丈夫。でもお腹にいる赤ちゃんをあまりにも気にしてあげないと、”気にして~”という意味で逆子になる事も多いのよ」「声かけすると治ってくれるかも」との事。

思い当たる節がたくさんあり、元気なのをいいことに、普通の忙しい生活をして北海道で遠征についてキャンプしたり、お腹の子のことをすっかり忘れている自分がいました。
これはいけない、と「治ってね~」と声をかけて、8ヶ月くらいの検診でちゃんと頭を下になっていることが確認できて、ホッ。

とにかく大きかったお腹。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はお腹がやけに大きく、8ヶ月くらいで「臨月ですか?」と聞かれることも多く。でも二人目だから、こんなものかな?と思っていたけれど、31Wの検診で、羊水が双子並みに多い、と言われ。

心配するほどではないけれど、どんどんお腹は大きくなって、周りもびっくりするほど。 毎日元気は元気だったけれど、酷暑も伴って、苦しかった~。

<そして出産>

ウテキアニ助産院

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予定日は10月4日でしたが、お腹も大きすぎるので、おそらく9月中には生まれるだろうという予測で、まだかな、まだかな、と2週間ほど前から、やまめのスケジュールとにらめっこしながら、やきもき。

9月20日~23日の美瑛センチュリーライド&東京センチュリーライドの日には生まれないで!と声をかけ、無事に過ぎ。その後の9月末の保育園の運動会も通り過ぎて、
きっと入院中かな、なんて思っていた、10月1日の純のお誕生日もお祝いができ、
でも、やまめの学校も10日からは入っているから、もうそろそろがいいな~と思っていた頃。

そして予定日の4日の夜、お布団に入って1時間ほどしたころ、ドバドバと一気に破水。

小百合さんにメールをして、その後すぐに陣痛が。 1時間くらいはお布団の中で、呼吸法で耐えていたけれど、しばらくして、痛みが増して来たので、旦那さんを起こして、寝ている息子もパジャマのまま車に乗せて、車で10分の助産院(普通のご自宅)へ。

到着してすぐの頃。もう強い陣痛で痛かったけど、まさかこの後永遠に続くとは・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウテキアニ助産院のお産部屋に入り(深夜2am)、最初は、妊婦時代にもらったCDで散々イメトレした通りに、(風船)呼吸法で逃してたけれど、だんだん強い痛みに。ただ痛みは強いものの、なかなか降りてこず。

いわゆる分娩第1期の、骨盤に下りて来るまでが5時間、実は今回はここが一番つらくて、全然進まないから(そのときはそう思えて)、、何度も「(なぜ??普通は2人目は楽だと言うのに。)」という考えが頭をぐるぐるとよぎり。いろんな体勢をとっても、まだまだの様子で痛みも疲れもあって、「もうダメです〜」と涙も出てきて、挫けそうだったけど、、「無駄な陣痛はひとつもないから。全て赤ちゃんが通れる為だよ」という言葉に励まされ。

ここで朝を迎える(7am)  ひとりでいい子で寝ていた純も起きてきて。

朝までひとりで別の部屋で寝てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

分娩第2期の、いきみができる、骨盤から赤ちゃんが下に下りてくるまで4時間くらい、もうこの時は永遠に思えました。。
マサルさんもずっとサポートしてくれて、純もお水を飲ませてくれる係をしてくれました。

でも 「もう今日産むしかない!」「でも産めるのかしら??」という思いが交錯しながら、みんなのサポートも支えになって、何度も何度もくる強い陣痛に、ありったけの力でいきんだ時期。

私の体力があって強い陣痛が来ていたから、産むことができた、と後に言われました。
前夜から寝ていないのもあって、眠さもあり、3分おきの陣痛の合間の30秒になんと一瞬眠れたり!(マサルさんが驚いていたけれど)

助産婦さんが言っていた、眠ると強い陣痛が来る、というのは本当で、少し休むとうねりのように強い陣痛が。それが赤ちゃんを少しずつ押し出してくれました。

これはまだ分娩第二期くらい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は暑くて、全身汗ビッショリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、第3期の、頭が見えてからもなんと1時間以上かかり。でも、髪の毛が見えた~と皆が声をあげて、それ(あかちゃんの頭のてっぺん)を、実はipadで写真を撮ってもらって、そこから、”本当にもうすぐだ”と確信ができて、一気にがんばることができました。でも、しかも顔が出てからも、肩がつかえて、小百合さんが引っ張ってやっと出てきました!

生まれた瞬間。大きい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の普通の体の骨盤にこんな大きな子がはさまってたから、経産婦でもこの時間かかったのは当然とのこと。

最後は根性で(?)、四つん這いスタイルで産み落とせました…
もちろん医療行為も全く無く、4kg、裂けもせず、自然に産めたのは、まさに奇跡的。

はじめまして!

 

 

 

 

 

 

 

 

いい顔。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベテラン助産師の小百合さんでも、手ごわいお産だったようで、両手の指でずっと何時間も飲まず食わずで、私の骨盤を広げて素手一本で産ませてくれた開業助産師さんというお仕事、覚悟に脱帽&感謝。

「こんな大きな子を、100回以上いきんで自然に産めたのは、一生自慢にしていいよ」、と言ってもらえました(笑) でもほんと、出産は命懸け、というのはいつの時代も一緒。 素晴らしい体験をさせてもらって感謝です。

穏やかでいて強い優しい手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純をとりあげてくれた岡村助産師さんもずっとサポートしてくれて。

 

 

 

 

 

 

 

 

マサルさんも、私の底力には脱帽したらしく、「俺より何倍も丈夫で体力あるよ・・」と。自転車のおかげかな^^;

妊婦さんに体力が無いと、意識が遠のいて微弱陣痛→病院→促進剤 Or 場合によっては帝王切開などになったりするらしく、強い陣痛が何時間も来続けていたたのは体力があったから、だそうで。
ほんと臨月に入ってからでも薪割りやウォーキングで体力つけておいて良かった。

純の時は促進剤だったから、分娩自体は6時間ほどだったけれど、今回の自然な陣痛は、痛みを逃したり、自分で陣痛の合間に休憩したり(2分だけ寝たり、などできて!)、今思えば、時間は長かったけど、痛みや出産自体を自分でコントロールできた気がします。

純もお兄ちゃんになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

普通は助産院で出産、というと、静かな暗い部屋で産み落とし、涙を流し・・って感じだろうけど、私の場合はお昼なのもあったし、大変だったので、みんな涙より、汗だくでやり遂げた~という感じで、ハイタッチ(笑)それも私らしいお産かも(笑)。

よく聞かれる、お産を例えると?、って何にも例えられないけれど、強いていうならよく例えられるフルマラソン以上、私は(の場合は)、ボクシングに近いと思う。ぐーっと最高に苦しいブローを2、3分ずっとくわせられながら、1、2分の休憩、そしてまたラウンド、を24回、いや50回、100回という感じが一番近いかも。だから1年近くの準備期間も、終わった後の1ヶ月の休養も必要。男の人もイメージできるかな?(笑)

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本当に皆の力で成し遂げた出産でした。Mahalo!

今は、 生後20日、あまり寝なくなって、大泣きが多くなり。さすが4kgで生まれた息子、新生児の泣き声じゃないくらい、大きな声で泣きます(笑)
お手伝いに来てくれていた母が明後日には帰るので、これからが少し大変。でもこのちいちゃな時も今だけ、とわかっていると、かわいいものです。

(Chie)

 

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